見栄えの呪縛
運動会練習。
今年はコロナの関係で秋開催。
最近本当に思う。
なぜ運動会をするのか?なんのためだろう。
なぜ保護者が参観できる読者大会や、実験大会、掃除大会でものがないのだろう。ここにあげたものをどう実行するかは考えていないが、運動苦手な子を公開処刑のようなことをしないで、それ以外のその子が輝けるそれぞれの参観をしないのだろうか。
あっても授業参観1時間にクラス全員ができるようになったことを1人数分ずつで発表していくくらい。なぜ半日使ってやらないのかな?
運動会は全員を一斉に効率的に指導できて、見栄えもいいからだろうな。
その見栄えが問題である。
教師は見栄えにこだわる。子どもの主体性や自主性よりも、見栄えが気になる。
この見栄えの呪縛から解き放たれないと、運動会は教師が思うように子どもたちを動かす、極端な言い方をすれば言いなりの子を育てているように感じる。
無理矢理一致団結させるような声かけをしたり、誰のための運動会だと思ってるのとかいう指導をしたりする教員。
見栄えをよくしなければいけない、見栄えがいいと指導力があると思われるような呪縛、
教育現場にこびりついている。
もっと肩の力を抜いて、
もっと心から楽しめる、
行事にしていくことが、現場の課題である。
誰のために、なんのために行うのか
これを問い続けていくことが、子どもも教師も幸せになる大切なことだと思う。