見極める目
今日はなんかいい日だった。
気になるあの子の良いところが、話し合いの中で、みんなに分かるように表現されてた。
相手の気持ちを傷つけず、自分の意見を主張する話し方が秀逸だった。
それをみんなの前で伝えることができ、その子も嬉しそう。
どうやらみんなもそう感じてたらしい。
気になるあの子の良いところ、それを発見できて、そしてみんなで共有できたところが大きい。今後のあの子との関係づくりや学級経営に大きく貢献してくれた気がする。
そんなあの子も今日は親と言い合いをしたらしく、朝から涙目だった。
朝学習の時間もマシンガンのように話してた。
気になるけど、グッと我慢して様子見てた。
そのあとの話し合いでの出来事。
我慢してよかった。
いつ指導という名の注意に出るか、見極めが大事だと気づく。
こっちも我慢することがどれだけ大切か。
子どもの心の中を想像するだけで、
包み込みたい、安心して欲しい一心でその子を見てると、我慢をコントロールできる気がする。
周りの子からの教師への視線や、学級崩壊への恐怖から我慢せずに指導すると、逆に学級崩壊に進めているかもしれない。
見極める。
そのために見極める目を鍛える。
その鍛え方は、とっても微妙なバランスの上に成り立っている。
それを感じとり、行動に移す。
うん、今日はよかった。我慢してよかった。