子どもを鍛える 子どもを育てる
話し合いができるためには…
子どもを鍛える
子どもを育てる
どちらも向かっている方向は一緒な気はするが、なんだか違和感。
鍛えるってなんだろう?
鍛えると言われると連想するのが筋トレ。
筋トレのイメージだと、重い負荷をかけて、筋断裂を起こさせて、超回復させる事で筋肥大する。
つまり、子どもにとってきつい負荷をかけて、一度自己崩壊させて、そこから這い上がらせるってことか。
だとしたら、崩壊させて這い上がれない子はどうなる?置いてけぼり?
うーん、だから違和感を感じるのかな。
それより、育てるって方がよっぽどすんなり受け入れられる。体育会系じゃないからかな。
鍛えるって、それでこうなりましたって、教員の自己満足じゃないといい。
周りから、私はこんな子を育てるほど指導力ありますよって思われたいからやるんじゃないの?
もちろんそりゃ、周りからそう思われたくない人なんていないけど、
でも、子どもを中心に考えて欲しい。
その人が発する言葉の端端から教育観が見えてくる。
この人は
子どもを引き上げることで満足する人か、
子どもと伴走することで、成長する姿を見て満足する人か。
あなたはどちらですか?
ぼくはやっぱり後者でありたい。
子どもを育てることは、日本の未来を育てること。
子どもを育てる人でありたい。